おいしいトマト

トマトに意味はないけれど、言葉に思いを詰め込んで。

検察側の罪人【感想】

こんばんは!

検察側の罪人を見てきました〜!わーい!

見終わった後の率直な感想を残したかったので…検察側の罪人の感想文です。

ネタバレあり、主観たっぷりな感想文なので、ネタバレむり!って方、私のはちゃめちゃな感想で映画にまた別の脚色入れるのやだ〜!って方は回れ右してね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そろそろ大丈夫?書くよ〜!

映画を見る前に原作を読んでいたので、最上検事がどうなって、沖野検事がどうなって犯人は誰で…とか全部わかった上で見てきたんですけど、なんか、とにかく、やばい。

 

 

見終わった直後の感覚を一言で言うと、「消化できない大きな石を無理矢理胃に突っ込まれた」みたいなそんな感じです。わたしは!

 

そして映画の雰囲気を自分なりに表現すると、ディズニー映画「ダンボ」のピンクの象が出てくるシーンがあるんですけど、そんな感じだなぁ…と思いました。

ダンボを知らない方は調べてみて…ください笑

麻薬とか依存とかそういうワードがチラつくような映像なので。あんまり楽しくないから!自己責任でお願いします!

ただ、これだけだと言葉足らずで伝わらないので、詳しく後述します。

 

 

まず、上手くは言えないけれど「頭痛が痛い」「魂が割れるような」みたいな、体に関する強調表現(頭痛が痛い、を強調表現に勝手に認定)をありったけ詰め込んで、詰め込んで、そのままわたしの脳にぶち込んだ、大砲で。それくらいのインパクトがある映画だと思いました。

 

それは、例えば沖野検事が松倉に怒号を浴びせるシーンや、一線を超えてしまった後の最上検事のあの狂気と復讐心に満ちた目といった感情的なインパクト、という意味でもあるし、見終わった後にズッシリと残る『正義とは何か?』という酷く抽象的で答えのない問いに対するインパクト、という意味もあります。

 

両者のインパクトは感覚的に全く異なっているものなんだけれど、あの映画の混沌とした中ではどれもこれも全てが「衝撃」として一直線上に並んでしまう、だからそれを見ている私は、うーん、何とも言えない不思議な気持ちになったのかなぁ。

 

そして、私がこの映画に感じた"混沌とした雰囲気"がさっきのダンボのシーンに繋がるんですけど、あのダンボのシーンって本当に狂気に満ちていて、おどろおどろしいんですよね。麻薬を体現したかのようなあの映像。

どうしてそんな異常な雰囲気をこの映画に感じたかって、いろんな人の"歪んだ正義"が1つの空間に同時に存在してるから、なのかなぁって。

ラブホに潜入する前に立ち寄ったファミレスで、橘さんが

 

「犯罪という非日常が日常になっている」

 

みたいな事を言ってたんですね。そのシーンでは確かになるほどなぁ、と思ったんだけど、物語が進むにつれて脳裏でこの言葉がチラつくようになって。歪んだ正義が同一空間に存在しているっていうのは、彼女のこの言葉を反芻した時に思ったことなんですけど、最上検事と沖野検事、対立する二人の正義は明らかに異なるもので。何人もいる検察官一人一人の"正義"、"歪んだ"正義があの建物の中には検察官の数だけある。犯罪という非日常が日常だから、自らの正義の歪みにも気づかない。そして、この映画に感じたダンボさは、その歪んだ正義だらけの箱の中を一般人が覗いているから感じる違和感、気持ち悪さ、なのかなと思っています。

 

 

そして、何万回も凄いって言われたであろう沖野検事の取り調べ。

あの場面で、橘は涙を流します。あれは一体なんの涙だったのか、強姦された挙句殺されたゆきちゃんへの同情から来る涙なのか、沖野の迫力に恐れ慄いたから出た涙なのか。

きっと両方だったんだろうなぁと思うけれど、橘の立場になったらそりゃ、そりゃ泣くよね…って思いました、本当に。

だって彼女、沖野に「やっと2割の優しい人に出会えた」ってそう言ってるんですよ。

泣くよね!うん、私も泣いたし!

 

本当に怖かった。

 

被害者の顔を思い出せ、ほら、思い出せよ

 

と机の上に被害者の遺体の写真を叩きつけるかのように置いていく沖野。

事実を突きつけた、物理的に。 

松倉を罵った、思いっきり。

 

 

 

その沖野の叫びで映画館が揺れてしまうのではないか、と思うくらいに激しくて凄みがあった。どう頑張っても私の言葉では伝えきれないので、まだ見てない方はぜひ劇場で彼の罵詈雑言を浴びてきてください。魂揺れる、マジで。

 

あと、そのシーンでの松倉も凄い。

この映画4Dじゃないのに、松倉が一言一言喋るたびに、夜中の治安の悪い地下道の香りが鼻をかすめて、少女が好きで襲ってしまう、犯罪に走ってしまう彼の異常さを五感で感じたんです。4Dじゃないのに。

 

あの場面を盗聴してた最上検事の目の色が変わる様も、見ていて本当に怖かった。あ〜、これも体感して欲しい。

 

 

そして、私が印象的だったシーンは、沖野が最上に呼び出されて別荘に向かう直前の病室での二人の会話で。話にあんま関係ないけど!

 

沖野「悪魔の囁きに負けて堕ちるかもしれない」

 

橘「その時は、一緒に堕ちよう?」

 

こんな感じだったと思うんですけど…

こんな感じの台詞、よく見ません!?

ネットに転がってる恋愛小説で!!!!!

中学の時なんかに読んでたケータイ小説にこんな言葉よくあったでしょ!?

 

 

純粋恋愛小説でよく見る、一緒に堕ちよう、がこんなにも真っ黒で、ねっとりとしてて、絶望しか感じられない事ってありますか………

 

結局のところ、正義とは何か、という大きな大きな問いに答えがないからこんな、=愛情ってすぐに結び付けられるような言葉が絶望的に思えてしまう。だってわかんないんだもん、正義が。

1+1=2 みたいなそんな簡単なモノじゃないから、結局誰もが皆正義とは何かわからないままに、自分の中で何となく概念化した正義の中でしか動けないから、絶望的であり絶望なんだと思いました、この映画は。

 

 

最後、思いっきり叫んだ沖野はこの先どうなるんだろう。どうするんだろう。丹野議員が固執していたあの問題って結局なんだったんだろう。殺人を明かした最上検事はどうなるんだろう。松倉は?弓岡はあのまま地中に?

 

たくさん残る疑問。原作ではちゃんとその後が書いてあります。映画ではわからない、神のみぞ知る、です。

ただ一つ確信できるのは、そのどれもこれもが個人の正義に翻弄されて浮き彫りになった疑問、という事。どこを摘んでも正義とは何か、という問いに終着してしまう。

 

うーん、未だによくわかっていない所があるのですが、わからないなりに色々と書き出してみました。着地点がわからないってとんでもない感想だ!でもそんな映画もいいよねって。

 

メビウスの輪のようなこの物語、あなたはどのように解釈をして、正義とは何か、という問いに対してどんな答えを導き出しますか?

 

【18/09/11 追記】

 

この記事を公開してからも、この映画について悶々と考え続けていました。ストーリーの方に目を向けた時、どうしても腑に落ちない部分がたくさんあって、どうして最上と沖野の行く末を書かなかったのかっていうのが一番気になった所なんだけれど。

この前、私は浮かんできた疑問全てが"正義"を通して浮き彫りになった、って書いたんですね。でも、実はそれとは真反対だったんじゃないかな。

 

というのも、例えばチラリと出てきた橘の過去や、ボウリング場で弓岡に手を出させろと言ってきた都築夫妻の息子(音尾さん)のシーン。

あれ、って正直無くても物語成り立つじゃないですか。橘さんはその過去が無くたって、「最上検事と沖野検事のしている事はおかしいと思います、付き合いきれません、やめます」でいいもんね。

都築夫妻の息子さんも、最初からいなければあのシーンは無くなってしまって。だってその後、何か重要な鍵を握る人物か…?と言われても、いやぁ……別に…ですもん。

 

じゃあ、正直要らなくない…?って思ってしまうこれらのシーンが何であったのかって考えた時に、もっともらしい理由を私なりに探した結果、各々の「正義」を具体化したものだった んじゃないか、という結論に至りました。

 

橘は昔の経験に基づいた彼女なりの正義があって、その正義を貫き通す方法が組織に潜入して週刊誌で暴く、というものだった。都築夫妻の息子も、彼なりの正義を貫き通そうとした結果弓岡を殺そうと考えた。結局は最上に止められたけれどね。

 

上の方で、この映画は正義がひしめき合って歪んだ異常な空間が出来ているみたいなことを書いたんだけど、そういう事…だよね、たぶん。たくさんの正義を可視化してみたから気持ち悪いっていう感覚に繋がったんだと思います。

だから、ストーリーがどうとか本当の犯人は誰だとか、あの後どうなったか、とかはきっと映画の本質的にどうでもよくて。勝手に自分で原作読むなり納得できる解として結末を補完するなり、個々に委ねられてるんじゃないかなぁ… 

もう一度、じっくりと見てそれぞれの正義がどんなものなのか、を知りたいなぁ。そこに至るまでの背景とか、似たような正義はあったのか。真反対に見えて実は紙一重だったりして。

純粋に役者さんの演技をフルスクリーンで感じるのもいいなぁ、、