おいしいトマト

トマトに意味はないけれど、言葉に思いを詰め込んで。

コーヒーブレイク

こんにちは。

 

皆様いかがお過ごしでしょうか。

さて、会見から気づけば3週間が経ちました。

 

前回の記事で「世界には愛しかなかった卍」みたいなことを言いました。いやその時は卍なんて言わなかったけど!まぁでも今考えたら卍って感じじゃん?(?)

 

あの日から約三週間が経ち、ここ数日ボディーブローのようにじわじわ、ショックを受けています。ようやく骨の髄まで情報が到達したらしい。

 

まあ、端的に言うと寂しいんですよ。とんでもなく寂しかったので、どうせならもう浸ってやろうと思ったのが30分前。

 

だからお昼を食べながら「untitled」を再生してみた。それもSong for youから。完全に自殺行為🔪💥

と!いうことで〜…今無事に死んでギリギリ生還したところなので、記念にはてブを書いているところです。コーヒー片手に。推敲も完全ではない即席ブログ、申し訳ない。

 

とんでもなく頭が悪いおたくなのでSong for you 前半の記憶はもう既にないです。あ、嵐はイケメンでした。(なんだこの英語の教科書の典型的な例文感)

 

 

 

 

「振り返れば  くねりながら」

 

潤くんが、歌いだす。

翔くんが、続く。

相葉くんが、つなげる。

二宮くんが、受け取る。

大野さんが、まとめる。

 

気づいたら五人はソロを歌いつないでいた。

いつも、丁寧に彼らは歌を歌うけれど、今聞いた五人の歌声はほかのどれよりも丁寧で、やわらかくて、あたたかかった。ああ、優しいなあと思った。

 

 

間奏の挨拶を経て五人で歌う時。スクリーンに映されている相葉くんの表情が今にも泣きそうで、目がいつもよりも三倍は潤んでて、ああもうこんなのだめだ私も泣き………

 

 

刹那、なんでだかわからないけれど私の頭の中で嵐会で「ガチの反省はいいよ(笑)」と相葉くんをたしなめる翔くんが上映された。ほんとになんでかはわからない。

ただ、この時、どれほど大きなものを抱えていたとしても、その”大きなもの”は”大きなもの”で置いといて、目の前に映る自分のコンサートはしっかりと、仕事として取り組んでいるんだなあ…なんて、私が考えてた事なのに、私ですら真意のわからない事をぼんやりと思って、やっぱり泣いた。

 

 

泣きながら、でも、だってほら!今「This song for you...」ってあらし歌ったもん。私たぶんその「you」だもん。泣いてもいいよねえなんて、思って。思ってたら、また嵐が歌ってた。

 

 

 

「新しいnovelの 真っ白なページに 

どんな希望を どんな自由を

僕らは書き記してゆくのだろう」

 

 

 

”自由”

 

 

死ぬほど聞いた。この三週間。

いーーーまだにわかんない。自由ってなんだろう。いや、そもそも活動休止ってなんだ。

 

まあ、そう。ずっと自由ってなんだろなあ…と思ってて。うーん、わかんないけど「どんな自由を書き記してゆくのだろう」と歌う嵐を見たときにこれが嵐のいうこれから書き記される自由なのかなぁなんて思った。これは、この選択が、その”自由”のうちの一つなのか、と。

 

わたしは嵐じゃないので(当たり前)Song for you を歌っているとき、最も感動的であろうパートを歌っていた時、彼らが何を感じて歌っていたのかはわかりません。

わからないけれど、嵐は歌いながら嵐の事を考えてるのかなぁ、と勝手に想像してその気になってまた泣いた。本当に勝手で都合のいいおたくだなあ。

 

 

 

まあ、そんな風に(どんな風に?)感傷に浸ってたら、「未完」が始まって。

うわわあああああちょっっっっとまっっっって、これが嵐だあああああって、これは何だろう。実感したというよりも嵐に感電したかのような感覚だった。

  

死ぬほどカッコよかった。

これが、これが…嵐………か…

とお前は「untitled」初見、いやまだAll the BESTの5×10すら聞けてない人間かよとつっこみたくなるような感想を胸に、ただ、ただ、呆然と目の前で彼らが声高らかに歌う嵐から嵐への「宣戦布告」を聞いていた。

 

嵐の、嵐である様を、彼らのマインドを。

これが嵐だと、眼前に突き付けられたような気分だった。

 

 

 

 

 

 

正直、今私はどこにいるのか全くわからない。

特急列車に乗り込んで一緒に分け目もふらず車窓を楽しんでいるのか、特急列車の寝台で毛布かぶってメソメソしているのか。もしかしたら特急列車に乗れる駅行きの各停に乗っているのかもしれない。

 

とてもじゃないけれど、今日の僅か20分にも満たなかった時間で考えが深まったとも思えない。これが自由の一つなのかな、なんて思ったりはしたけれど、やっぱり未だに活動休止という事実はよくわからないし、自由もなんなのかわからない。

 

 

ただ、間違いなく私は何かを感じたのだと、そう思ったからここに記しておく。あの日からずっと変わらず、彼らの未来が光で満ちている事を願って。